文章を書くということ

今日からブログを書きたいと思います。

私が学生の頃は、やれブログだ、やれ前略プロフィールだ(年齢バレそう)と大変流行していた。
今はTwitterFacebookSNSと呼ばれるものが主流になってきている。
SNSは知り合いの近況を知るのにとても便利で私も利用している。


が、いまいち物足りない。


今もネット依存のきらいはあるのだが、学生時代ガラケーにかじりつき(スマホなんてなかった)、おもしろ読み物を血眼ドライアイで探していた私は、SNSTwitterのような「呟く 」と言われる量の文章では味気ないのである。
もっとしっかりとした、読みごたえのあるものが欲しくなってくるし、自分でも書きたくなる。

が、いざ自分がFacebookで長ったらしい文章を載せようと思うと、実際に自分を知っている人が見るという恥ずかしさで、アップする直前、あるいはした瞬間に消してしまうのだ。
これはいいかと載せたとしても、なまじ「イイネ!」等があるせいで反応が気になってしまう為、書き終えたというのに落ち着きもしない。私はジャ◯プ作家ではないので、掲載後のアンケートなど気にしたくない。一週間もののウンコが出たような清々しさで、無責任に画面を閉じたい。

様々なネガティブな考えが浮かんでしまい、結局は
「仕事疲れた」
「ベランダにてんとう虫がいた」
等、もう本当にしょーもない、皆さんにとってクッソどーでもいい日常の一コマしか書けないのだ。
大体ベランダにてんとう虫がいたからってなんになる。我が家が港区辺りの超高層マンションの上階にあれば「世界一ガッツのあるてんとう虫」ということで注目の的となり得るが、残念ながら我が家の位置は電線が横切る程度の高さだ。ちょっと頑張ればダンゴムシだって来れそうだ。


ただしどうでもいい情報というのは目に留まらない分、嘲笑されるリスクも低い。万が一悪い意味で笑われたとしても、こちらの開示している情報量が圧倒的に少ないのだから、自分が受けるダメージも然程大きくはない。結局保身に走ってしまうのである。


なので、SNSに書けないこと、自分の興味の対象や思ったこと、感じたことを書くには、こういう場がよいのかと思いウン年振りにブログを立ち上げた。布団時代は万年床だったズボラババアの一念発起である。
ベッドはいいね、たたまなくても許される。ありのままの姿で許される。レリゴーだ。

少し話が脱線しただけでこれだけの文字数なのだから、やはり「呟く」という媒体ではなかなかに難しいだろう。
折角長い文章を書く場を得たのだから、推敲に推敲を重ねて世に送り出すべきなのだろうが、そうするとおそらく「アッーーーー」となって全消しがオチなので、誤字脱字だけをチェックして第一子を産み落とします。

はじめまして皆さん、そしておやすみなさい。